スルガを支える精鋭たち SPS推進室 黒田 悟
歯車でなく、自分の力でビジネスを動かしたい!
なぜ、横浜の大学から地元に戻って就職したのですか?
きっかけは、「地元の会社も受けてみたら」という親の一言です。
大学のある横浜の会社から内定をもらっていましたし、実は大学院進学の試験にも合格していたので、選択肢は豊富でした。
それでも駿河精機に決めたのは、いってみれば直感。何とも言葉にできない雰囲気の良さを感じたんです。
もともと「大きな会社に入って、歯車のひとつにはなりたくない」という気持ちが強かったんですが、面接で駿河精機に来たとき「ここならやりたいことがで思い切りできそうだ」とピンときたんです。
実際、その直感は間違っていませんでした。入社3年目にいきなりベトナムへの赴任を命じられたり、ほかではなかなかできない経験をさせてもらっています。
20代半ばの若さで、ベトナムではどんな仕事を?
生産管理に品質改善、ベトナム人従業員のマネジメントなどもやりました。
ベトナム行きについては、直前まで出張の予定だったのに、急遽赴任の辞令が出てかなり驚いたのを覚えています(笑)。
ただ、いまは現地での3年間が何にも替えがたい経験だったと心底思っています。
例えば、FA部品の新製品立ち上げの依頼が本社から飛んできたとします。手元に届く情報は、図面、発売時期、予算くらい。
あとは、生産工程の立案から人員や道具の手配、材料の調達まで、すべて自分で考え、実行していきます。
「歯車にならずに自分でビジネスを動かしたい」──。まさにそんな自分の“やりたかったこと”と“やっていること”がつながっている感じがしました。
ベトナム時代、語り種になるほどの失敗もしたそうですが…
失敗の中身は単純なんです。新製品の納期が間に合わない……。最終的に納品日前日に航空便を出して、日本の空港まで取りに来てもらったりしたので、おおごとになってしまいました。
失敗の原因も単純で、責任者である私が、生産現場の動きをきちんと確認していなかったんです。
ほかの仕事も忙しく、その新製品自体それほど複雑なものではなかったので、生産工程をつくり、材料を調達して、あとは現場に任せていたんです。
それが納期の1週間前になって、製品が全然できてないことが発覚。全身から冷や汗がどっと出ましたね。
結局、社内外の設備、人脈、使える物はすべて使って間に合わせたのですが、“仕事の怖さ”を思い知らされました。
ビジネスにおいて、いかに先手先手で危機を察知していくことが重要かを教えてくれた本当に貴重な経験です。
大手商社のミスミグループと経営統合しての変化は?
駿河精機には、もともとスピードとパワー、つまり迅速にものをつくりあげる実行力、という強みがあります。
経営統合によって、それに緻密さが加わりました。計画に基づき確実に生産を進めていく、そして計画との差異があれば原因を徹底的に詰めていく、そんな緻密さです。
これによって、駿河精機がまたひとつ進化することは間違いありません。
私にとって、駿河精機がこうして前進を続けている発展途上の会社であることも大きな魅力です。
できあがった環境で仕事をしても面白くないでしょう。その意味では、「自分の考えをはっきり言葉にできる人」がうちの会社には向いています。
前向きな意見で、自ら会社を変えていくことができますから。



