「こんな小娘に工場を任せられるのか?」2002年。私は上海工場立ち上げのメンバーとして中国にいました。当時は入社2年目。会社経営の経験もない。技術的な知識もない。新工場設立なんて、まったくの初体験。それでも、私はこの工場立ち上げの現場責任者でした。億単位のお金を管理し、社内外とあらゆる交渉に臨まなければなりません。土地の契約、役所とのやり取り、現地スタッフの採用、生産立ち上げ。考えることは山ほどあり、一息つく時間もありませんでした。なかでも、最も大変だったのは人間関係。役所も業者も現地スタッフも、まだ20代だった私に懸念のまなざしを向けてきます。本当にできるのか。任せていいのか。小娘のくせに生意気だと。実力が伴っていなかった以上、仕方がなかったのかもしれません。苦肉の策として年齢を10歳上にサバを読みました。たぶん、バレていたでしょうね(笑)。でも、私はそれだけ必死でした。絶対に新工場を立ち上げる。その一心だったのです。
工場が無事軌道にのったのは、中国に来て2年後のこと。そして5年後日本に帰る頃には、私が背伸びした10年分の経験不足はキレイに埋まっていました。縁あってが、今も中国新工場の設立メンバー。もう大丈夫。今はプロフェッショナルとして、背伸びせずに、向き合っています。
- 2000年入社。ベトナム・シカゴの現地法人との購買窓口にはじまり、海外工場の立ち上げを担う。現在は工場計画ユニットとして、中国南通工場の建設に向けてあらゆる業務に携わっている。